So-net無料ブログ作成
検索選択
前の10件 | -

GIVE ME FIFTY‐FIVE!

bse1201180506002-p3.jpg

「北公次が亡くなったって!」 そんな風に、台所から母の声が聴こえてくるというのはスターの証。

寄るな!女には用はない ダメだ!この先は暗闇 改めて、繰り返し「ブルドッグ」を聴いている。
キャッチーなニッチもサッチもという歌詞や、センセーショナルなロープ芸ばかりがクローズアップされるが、
この曲の本当の素晴らしさは、男の強さと男の強がりを絶妙にブレンドしているAメロとBメロにある。

4人のうち、こんなに早く2人が逝ってしまったのはとても残念なことだけれど、
様々なしがらみを乗り越えて、再結成できたのがまだ救いであろう。波乱万丈な人生、おつかれさまでした。

今度めぐり合う日それは花の咲く日、俺の面影を抱きしめて君は生きろよ。
大磯ロングビーチ時代と変わらぬ若さを保つおりもと、髪以外は元気そうな江木はまだまだこれからだ。

☆これが噂のサウナ取材か…熱いぜ…
普段はロッテ担当の記者だが、前日19日から代役でDeNAを取材中。

休日のこの日も中畑監督マークで宿舎ホテルで張り込んでいたら、
午前10時前に指揮官が現れ、開口一番、「みなさん、サウナへ行くぞ! よしっ!」

この大号令に9人の記者が動いた。行き先は宜野湾市の「天然温泉アロマ」。
記者は週に一度、地元の東京・蒲田の温泉施設に通う自称“お風呂通”だ。入浴マナーには少しうるさいが、
タオルなし、生まれたままの姿で堂々と大浴場に向かう中畑監督に、神々しさまで感じてしまった。

アロマ湯で癒し、水風呂に入ってから高温サウナへ。中畑監督が切り出した。
いまだ今季の所属先が決まらない松井へのラブコールだ。

「ゴジ(松井)もここまで来たら、日本へ戻ってくる選択肢はないのかな? うちだけにはあってほしい」
松井自身を直接口説いた1月17日の監督就任パーティー、28日の知人の結婚式に続いて、3度目の求愛だ。

指揮官の舌はさらにヒートアップ。「もし、うちに来てくれたら、自分のペースで試合に出てくれたらいい。
ゴジには捕手の後ろでも何でもポジションを考える」 汗をポタポタ流して熱いメッセージを語り続けた。

☆DeNA高田繁GMが、アスレチックスをFAとなった松井秀喜外野手(37)獲得へ本気の姿勢を見せた。
「松井は交渉が難航しているみたいだな。うちに来ればいいのに。本気だからね」と話した。

松井獲得に関しては池田社長、高田GM、中畑監督と幹部の意見が一致している。
イエーツ駐米渉外担当は「彼が日本球界OKとなったら、すぐにオファーを出す。球団の意向だから」と話した。
高田GMは「ラミレスと並ぶ大砲がもう1人欲しい」と話しており、松井の動向を注視している。

He Is Comming オーイェー

アメ公に追われた野郎が唄うよ 悲しい想い出かなぐり捨てて
煮詰まり野郎がハマにはウヨウヨ 男たちよためらわずお乗り

好きな女連れ早くお乗りよ お経の代わりにキヨシが唄うぜ
あえいだ声にゃもう飽きたろ ショーケントレインにゃ終点はないよ
Don’t You Like Baysball Don’t You Like Baysball Don’t You Like

シュシュポポ シュシュポポ ショーヒデトレイン オーラーイー

地べたを泳いで目指すはゴーイゴーイ カープを叩けば明るい光が
エリート街道にゃもう飽きたろ マーケートレインにゃ終点はないよ
It’s All Right Baysball It’s All Right Baysball It’s All Right  

ショーケンとショーヒデに関しては、朝のうちに書き終えていたので、妙な構成になっていることをお詫びする。
外野は黙れ!うるさいぞおまえら。これは、オレから光GENJIへ…ではなく松井秀喜へのメッセージだ。

恋の傷跡ならいつか薄れていく、男と男の闘いは永遠に消えない。
nice!(0)  コメント(1) 

アスファルトタイヤを切りつけながら暗闇走り抜ける

20120219216_R.jpg

10年に1度の塩興行認定いただきました。仙台ららばい、あなたもついてない。

PPVがSD画質な時点で、嫌な予感はしたんだよ。
途中から、AT1はあいつでAT2をオジキと観るべきだったという気がしたけれども、
笑える塩じゃなくて笑えない塩だったから、どちらにしても一緒だな。金返せ!金返せ!金返せ!

PPV料金の一部が寄付されるってのがまだ救いではあるが、通常興行ならサスケばりにブチキレとるわ。
暴動が起きる危険性もありつつ、客がいちばん熱いのが大阪で、ひたすら大人しく盛り上がらないのが東北。
プロレス界じゃ昔から有名だし、確かにノリも悪かったけれど、それをお客さんのせいにするのもアレだ。

第1試合
サスケ・四虎・田口・石森vs邪道・外道・拳王・野橋
・田口以外はグッドシェイプだな。それにしても、サスケの身体は凄いけどキモい。

第2試合
天山・小島・志賀vs平澤・浜・ヨネ
・志賀とテンコジは人が良いから、プロレスラーに向いてないよ。

第3試合
ライガー・稔・KAI・鼓太郎vsカズ・近藤・金丸・中嶋
・近藤って動きいいなあ!それに比べてキックバカ。健之介は道場で何教えてんの?
・ライガーたちは遠慮しないでもっと金丸を攻めろ!金丸の持ち味が出ないじゃん。

第4試合
真壁・征矢vs真壁・高橋
・大井町刀義団は来てねえのかよ。だから杉は受けられるんだから、真壁は遠慮せずに攻めろって!

第5試合
佐々木・永田・丸藤・曙vsみのる・高山・タイチ・河野
・永田は白目もやらないって、地方をナメてんのか!
・(オレ)横綱はすげー動きいいじゃん!やっぱり、横綱は天才だな。
・確かに曙は良いけど、タイチの受けがいいよ!すげー噛み合ってて面白い。

第6試合
後藤・彰俊・人生vs中邑・矢野・飯塚
・久しぶりに観たけど、人生は相変わらず雰囲気があるね。
・飯塚は無駄にグッドシェイプだし、みんな厚みがある。これじゃあ、中邑がかわいそうだわ。
・後藤(笑)ホント、後藤はあんただな!見た目もしょっぱさもそっくりや。

第7試合
武藤・小橋vs秋山・大森
・(GET WILDで入場する大森に)おまえのどこがゲットで、どこがワイルドやねん!
・秋山も大森も遠慮…ってそりゃするわな。小橋も武藤も全然動けてないもん。

※小橋の失敗スレスレムーンサルトあたりから、わが家に二週連続で不穏な空気が流れ始める。
・(オレ)もう勘弁してくれや。三沢みたいな話は、二度と聞きたくないんだが(怒) 引退してくれ!
・本人がいいんだからしゃーないでしょ。でも、小橋のカミさんもこれじゃ心配だろうな。

第8試合
棚橋・諏訪魔・森嶋vs内藤・真田・潮崎
・あんたがさっきやってたエアギターって、棚橋のパクリかw 浸透してないから、気づかなかった。
・豪はいくらなんでも白過ぎ!だから、内藤と真田ってベイスターズかよ!

・モリシ…腹引っ込んだじゃん!これは、モリシなりに超グッドシェイプだわ。
※予想通り、いや予想以上のグッダグダな試合展開で、オレの不機嫌度MAXのまま興行終了。

ベストバウトは丸藤組vsみのる組で一致して、MVPは曙とタイチで分かれたが、
ある意味で語るべき試合がそれだけだったというね。あとは、ボディラインの話に終始してたってなあ。

IGFとかのしょっぱさはいいんだよ。だって、格闘家の奴らがプロレスを出来るはずもないし、
それをわかりつつ、上から目線でニヤニヤしてるのが楽しいわけだからさ。

最近のプロレスは組体操ってよく言われることだけど、それを痛切に感じてしまったよな。
要はいつもと違うメンバーだから、うまく出来ないってそれは違うし、互助会丸出しなんだよ。
噛み合うとか噛み合わないじゃなくて、闘いがねえんだ!それは、レスラーじゃなくフロントの責任だろ。

昔のレスラーに比べて、節制してグッドシェイプなレスラーも多いし、みんな努力してるのはわかる。
おまけに、地方で手を抜いてたわけでもないんだよ。だけど、すべてが空回りしてるんだよな、

みんなの一生懸命さが逆に物悲しさを感じるというか、なんだかオレまで無性に情けなくなって、
キレ捲ってたというね。あんな程度で、プロレスの底力なんて言われたら冗談じゃないよ。

秋山 「オイ、何やってんだよ、おまえ!」
大森 「人のこと言えたアレかよ?」
秋山 「ウッセー、コノヤロー。シッカリしろ、コノヤロー! もうやんねーぞ、バカタレ!」
※秋山は、先に不機嫌そうに控室へ

大森 「……やっぱ無理だな。試合やったほうがいいよ、秋山とは」
――今日は仙台での試合でしたが、“歓声”というのはいかがでしたか?
大森 「……反省?」

――歓声です。
大森 「(アナウンサーに詰め寄り、胸倉を掴んで) ああ~?
なんで俺が試合、反省しなきゃいけねーんだ。オマエ! オイ! 何言ってんだオマエ?」
――歓声です!
大森 「滑舌悪ぃな? もう1回言ってみろよ!」
――歓声です! 歓声ですっ!
大森 「ああ? コイツは俺に反省しろって言ってるんだ、コイツはよ!(控室へ)」

少しは反省しろよ…アナウンサー相手じゃなくて、全日同期で同い年の秋山に粋がれや。
でも、久しぶりにあいつより先に不貞寝して、5時に起きて読んだこのやりとりがベストバウトでいいわ。
なんだかんだで秋山は、大森を気にかけてるし期待してるし好きなんだろうね。その辺が、あいつとダブるよ。

タカオもオレも、まったくトゥギャザー出来なくて、ジュンとケケに申し訳なかったと思っている。
「あんたと大森は無駄に熱いし、色々考えてるのは分かるけど…いつまで経ってもアレだよね」 うん、アレだ。

チープなスリルに身を任せても、明日におびえているってことだな。
nice!(0)  コメント(1) 

ねんねんころりねころんで

bsr1202182023002-p1_R.jpg
球場内を移動する楽天・星野監督と、転倒するカメラマンに手を貸すDeNA・中畑監督。

比較的、容易なオペレーションとは言え、ご高齢の上に心臓。
期限などは決めずに、ゆっくりと養生しながら回復していただきたいと、心よりお祈り申し上げます。

☆中畑監督 寒いぜ…ミスミス「ごめんなさい」
楽天との練習試合に1-3で敗れ、対外試合は2連敗スタートとなった。
走塁や守備で手痛いミスが出ただけでなく、首脳陣が意思疎通を欠いた場面もあり、
中畑監督は「悪かったなと選手に謝りました」と明かした。

午前三時の横浜ベイは 清の店のライトでゆれる
誘うあなたは駅のベンチで まるで人生飲み干すように
にがい瞳をして 白ワインあけた

名前は? そう アヒルにはあるわ 生まれは? そう あんたと同じよ
ねんねんころりねころんで 眠りましょうか

横浜ららばい 三位ある四位もある 五位は見えぬけど
横浜ららばい ふれあう球団ない

だから朝まで ないものねだりの子守唄

午前六時の馬車道通り シャワーの水で涙を洗う
鏡のわたし二重映しに ベイスの服の中年が映る
愛をうばった 十三年が映る 

また負けた? そう 数知れないわね ベイした? もう なれっこみたいよ 
べいべいころりべいころんで 眠りましょうか

横浜ららばい 夢がない明日がない 人生は戻れない
横浜ららばい あんたもついてない

だからお互い ないものねだりの子守唄

孤独さ そう みんなおんなじよ 送るよ いい 電車で帰るわ
ねんねんころりねころんで 眠りましょうか

東京ららばい ビールがあるATがある ダービーは月末だけど
横浜ららばい 幸せが見えない

だから死ぬまで ないものねだりの子守唄
nice!(0)  コメント(0) 

本年モ反省ノ色ナシ

bse1202161710006-p1_R.jpg

幸先いいぜ!横浜DeNAベイスターズは、のっけから絶好調です!
親会社と監督が新しくなると、こうも変わるのか…すべてが豪快で瑞々しく若々しいね。

”若きエース”国吉佑樹がナイスピッチング!
”佐伯弟”内藤雄太のホームランでハンカチをKO!
”和製大砲”筒香嘉智が4打数4安打!

”平成版青い稲妻”荒波翔が走り捲る!
”新キャプテン”石川雄洋が攻守に大活躍!

☆横浜DeNAベイスターズが初の対外試合を行った。

0-1で迎えた3回、打線が日本ハム先発の斎藤佑樹を攻略。
石川の右翼線二塁打で同点に追いつくと、4番・筒香が右翼フェンス直撃の適時二塁打を放ち勝ち越し。
さらに内藤がバックスクリーン左へ2ランを叩き込み、斎藤から4点を奪った。

5回には2番手の多田野から、森本が左翼線へ適時二塁打。
続く筒香も右翼線へ適時二塁打で2点を追加し、6-1とリードした。

ところがその裏、3番手の小林寛が金子に中田に、左中間へ超特大3ランを浴び6-5に。
6回、荒波の適時二塁打で7点目を加えたが、8回に5番手の小杉が大炎上。
陽の適時二塁打、加藤政の逆転二塁打で試合をひっくり返され、中田の左中間二塁打でダメを押された。

中畑監督率いる新生DeNAが、5点差をひっくり返され、豪快な逆転負けで初陣を落とした。

☆キヨシトーク
「一番は元気な声が最後まで出続けることができた。
特にリードされた後、9回も二死からチャンスを作った(二死一、二塁)だけでも、満足した。
選手にはそう言ってあげたいが、『負けたのに100点はないだろ』となるので、言いません。120点かな(笑)」

ファンもファンなら、選手も選手。そして、中畑清ほどふさわしい監督もいないね。
我々も含めてこのくらい志が低くないと、ベイスターズには熱過ぎて触れられないぜ。

逆転→中押し→逆転負け。この様式美は健在だし、三連単一点でいいよ。
媚びない・群れない・勝てない。年が明けても何ら変わらぬ古典芸に、記事を読んだだけで目頭が熱くなった。

「またこのパターンかよ…先が思いやられるなあ」 試合なんていらねえよ…春。

汝、嘆クコトナカレ。
nice!(0)  コメント(0) 

三波春夫でございます

02-022.jpg

これは20年くらい前だと思われるが、こちらまで気分が良くなってしまうくらいに素晴らしい写真だ。

オレにとっての笑点とは、大喜利ではなく前座の演芸コーナーである。
レツゴー三匹(正児もじゅんも老けたな)、牧伸二、堺すすむ、松鶴家千とせ、ケーシー高峰…
オレは古典的と言われようが、そんな笑いが大好きだし、これからも元気でいて欲しいと心から願っている。

さて、くだらないと思う報道の仕方に、「誰々の葬儀には、何百人が参列」というものがある。

師匠のレツゴーじゅん、先輩のぼんちおさむ、同級生のオール阪神。
数ではなく愛し愛された3人に見送られて旅立った、太平シローはとても幸せだったと思うがどうだろうか。

ホイットニー・ヒューストンは、日曜のニュースを観て「エーッ!」と声を上げたのは事実だが、
和製外人(E・Hエリックやクロード・チアリなど)を除いて、外国芸能は苦手なジャンルなので、
語れることもないし語る資格もないし、客室と聞いてデビッド・フォン・エリックを思い出した程度に過ぎない。

ただ、マイケルの時にも感じたが、栄光の時代から一転、奇行やドラッグに走った姿を、
最後まで見守り続けた人がどれだけいただろうか?死んだ時だけ美化するのは簡単なことだと改めて思った。

言いたいことは無くもないけど、面倒なので口に出さないオレとオヤジ(POISONな反町隆史型)
言いたいことをすぐに吐き出して、大喧嘩になるオレとかあちゃん(MUGO・ん…色っぽい工藤静香型)

少なくとも、震災後初めてかあちゃんと口論になった。
あいつとのケンカみたいに、いきさつさえ憶えていないのとは違って、ちゃんと分かっている。

「リハビリも要らないし、言わなきゃ誰もわからないから謳うな」
他言はするなと、あれだけ念を押していたくせに、治った途端に年賀状などで病気しましたなどと書く
かあちゃんには非常に腹が立っていた。正月は、やけに自宅の電話が鳴っていたのもそのせいだ。

向こうから聞かれたならともかく、わざわざ年賀状に書く意味が分からない。
オレが面と向かって口には出さずとも、そのことについては不満を抱いているのをあいつは知っていた。

多少の口論の上に、「パパの友だちの誰々が、あんたのことを云々…」 それでブチ切れた。
「じゃあオヤジが死んだ後に、なにしてくれたんだコラ!」 余計なことを書いて喋るから、こういう話になる。
さらには、「オレがあの時いなければ、あんたは(以下略)」 これは余計な一言で、素直に反省している。

年末に友だちを呼ぶオレと違い、オヤジは正月に招く習慣があった。
だから、身分不相応な額のお年玉を毎年貰い続けていた。10人来たら10万、そんな時代だ。

もちろん感謝はしているが、あくまでオヤジの友だちである。
母ひとり子ひとりになってしまった以上、義理もないと言えばそれまでだろうし、こちらも求めていない。

わが家の源流であるばあさんとオヤジは早々に、そしてじいさんまでもがオレたちを残して旅立った。
個人として誇れるような事は何もないが、わが家については誰にも頼らず、母とふたりで守ってきた自負はある。

だからこそ、反面教師ではないが、万が一おまえらが先なら、その場のノリだけではなく
後々までカミさんや子どもを、できる限りヘルプしなくてはならないとオレは個人的に思っている。

察したあいつが割って入り、珍しくオレを擁護していたのであっさりと終わった。
ALWAYS三丁目の夕日に、かあちゃん派なあいつが?と驚いたが、おそらくこれにはワケがある。

「よっしゃ!獲った!おまえになんでも買うたる!」 これが3ヶ月前の話だ。
あいつも昔はカードで借金をして、貴金属を買い漁る時期もあったようだが、いまは大人しいものだ。

それで頼まれたのが、コートである。ミンクや毛皮でもなく、単なる通信販売のトレンチコートだ。
「でも要らないよ。あんたも何かと物入りだろうし…」 あいつと和室で寝ていた頃の話で、ウヤムヤになっていた。

これを書いている時間でもお分かりのように、最近のオレは朝型である。
昨日もあいつが帰ったあとは、かあちゃんとTVタックルと報ステを観て、部屋に戻ってすぐ寝ていた。

先週金曜の朝5時、「さ~て、モバゲーでもやるべかな」と、タブレットをクリックすると、
違うブックマークを押していた。そこには、トレンチコート40%オフの文字が…すかさず、レイトゲットしてやった。

あいつはこの14年、何かを買ってくれなどと自分から言ったことは一度もない。
だから、いつも口だけに終わるが、100や200発言はオレも割と本気で宣言している。

99の悪に1の善とはこのこと。この逆バレンタインの1だけで、オレが50になるまでは安泰であろう。
「じゅんで~す 長作で~す 三波春夫でございます」 わが家もレツゴー三匹で、変わらず歩んでゆくのでございます。
nice!(0)  コメント(2) 

聞き分けのない女の頬を

tigers_R.jpg1344_R.jpg

きれいな顔には恋に疲れた虚ろな瞳がまた似合うけど⇔なんで世間をあなたは気にする
体の傷なら治せるけれど⇔心の痛手は癒やせはしない
行ったきりなら幸せになるがいい⇔戻る気になりゃいつでもおいでよ

寝顔にキスでもしてあげたいけど⇔そしたら旅立ちが一日延びるだろう
女は不思議だくちづけするより⇔きれいな約束欲しがるものなのか
明日は明日で楽しいだろうが⇔あまりに遠くて予想もできないよ

酒場を探して見えない時は⇔近くの墓場を探してみろよ
おまえが性悪女であれば⇔そのまま一緒に暮らしたけれど
ゆっくり生きたら百年かかる⇔急いで生きたら三十いくつ

ひとつふたつ張り倒して、背中を向けてタバコを吸えば、それで何も言うことはない。
ジュリージュリー、あんたの時代は良かった。男がピカピカのキザでいられた。

☆1960年代後半、GSブームの頂点に立った『ザ・タイガース』。
41年前に解散コンサートを行ったあの日と同じ1月24日、場所も同じ日本武道館で行われた
『沢田研二LIVE』の最終公演で、ザ・タイガースの元メンバー5人が顔をそろえた。

2005年、沢田研二(63)、森本太郎(65)、岸部一徳(62)の3人が
NHK『SONGS』に出演すると、瞳みのる(65)へのメッセージを込めて3人でつくった曲を披露した。

瞳が京都に向かう前に一徳に伝えた「一緒に帰ろう」という言葉をもとにした、
『Long Good‐by』という曲だった。元メンバーの瞳は、ザ・タイガースの解散後、芸能界を去り、
以来、約40年間、ザ・タイガースとの縁を絶ち切ってきた。

この歌のことは人づてに瞳の元に届き、彼の心を揺り動かした。そして2008年秋、大きな転機が訪れる。
瞳が勤務する高校を、ザ・タイガース時代のマネジャー・中井国二さんが訪れたのだ。

「仲のいいグループを台無しにしてしまって、申し訳なかった」
中井さんはこう謝罪するとともに、沢田が瞳に会うために、瞳の行きつけの居酒屋に
通っていることなどを伝えた。瞳のなかにあったわだかまりが、しだいに溶けていった。

2008年11月。渋谷の居酒屋で、沢田、森本、一徳と38年ぶりの再会。
瞳の顔を見ると、森本は「会いたかった」といって、いきなり泣きだしたという。

2011年、沢田が中心になって、沢田が毎年行っているツアーに元のメンバーが参加することを企画。
8月から、週5日、1日5時間にも及ぶ本格的な練習をスタートさせた。

コンサートの初日まで3週間に迫った8月中旬、瞳とメンバーの仲をとりもった
元マネジャーの中井さんが病死した。ザ・タイガースの復活を置き土産にしたかのような最期。
メンバーは悲しみに打ちひしがれながらも、「中井さんのためにも、ステージを成功させよう」とより結束を強めた。

森本、一徳、そして瞳がゲストとして参加した沢田のツアーは、全国38公演。
沢田は「全員揃ってのタイガース」にこだわり、四郎にも最終日への参加を呼びかけた。

一徳は弟の健康を気遣って最初は反対していたが、
「四郎も目標を持つことで元気になる」と沢田に説得され、納得したという。

そして1月24日、冒頭のように、四郎もステージに上がり、
ザ・タイガースは一夜限りの“復活”を遂げたのだった。森本は次のように語った。
「シロー(岸部四郎)は歩くのもやっとで、体調を崩したら、当日来られるかどうかもわからない状態でした。
だから、シローが登場したときは『体は大丈夫か』『ちゃんと歌えるのか』と心配で心配で…

シローがしっかり歌いだしたときはホッとしましたね。
ピー(瞳)も実は、2009年に脳溢血で倒れている。ドラムはものすごくハードだから、
38公演すべて最後までやりきってくれたのは、本当に嬉しい」

沢田は、「命ある限り、全員揃ってのザ・タイガース。近い将来、それが実現することを願っています」と語った。
一部で報じられたが、それはザ・タイガースについての沢田の考え方との違いから、
今回のツアーに参加しなかった加橋に向けたメッセージだった。

大成功に終わった武道館公演の夜、先に帰った四郎を除くメンバーたちは、
都内のイタリア料理店で打ち上げを行った。森本がいう。

「昔話をして、たくさん笑って…41年前の夜とは違ってずっと楽しかったな」
41年前は打ち上げ後、すぐに京都へと向かった瞳。しかし、今回は2次会にも参加した。
2次会は、メンバーたちのかつての合宿所があった中目黒近辺。瞳は本誌の取材にこうコメントを寄せた。

「公演は夢のように過ぎました。ぼくたちザ・タイガースにとって
武道館は大事な思い出を保管していき、今後も保管していく特別な場所です」

日本人として初めて単独ライブを開催し、解散コンサート、そして復活コンサートを行った日本武道館。
淡々とした言葉のなかに、ザ・タイガースへのあらゆる思いがちりばめられている。
ザ・タイガースのメンバーはすでに還暦を過ぎ、ファンも皆、年を重ねた。

これまで生きてきたなかでいろいろなことがあったけれど、
だからこそいまは本当に大切なものの意味がわかる。ずっと振り返ってこなかったけれど、
決して手放したくないものの存在に気づく。人はそれを、青春と呼ぶ。
nice!(0)  コメント(5) 

源龍

DSC00338_R.JPGDSC00346_R.JPG

宜野湾のベイスターズキャンプほどではないにしろ、毎年多数の報道陣が詰めかける
池上本門寺ではあるが、テレビで流されたことはほとんど無いと記憶している。

朝から、「中畑は笑っちゃうね」なんて、オーナーに話しかけられて和やかムードだったらしいあいつの店、
それに、相撲取りの成田山新勝寺や、石原軍団の総持寺に比べ、マイノリティの悲哀を感じてしまう。

今年もまた、流されないだろうと思いながらザッピングしているとフジでは健介夫妻の姿、
さらには日テレで、天龍源一郎・健介夫妻・女子サッカーの丸山・ジャビット(笑)を映し出していた。

「丸ちゃんと秋山はいいけど、天龍の写真はいらんから。そういえば、昔は三沢を送ってきたこともあったね…」
あれはいつだっただろうと、自分のブログを検索してみると、2007年のことであった。

その時に、ジャンボで行って以来23年ぶり2度目と書いていて、今年で6年連続7度目になるから、
オレもいまやすっかり中堅の安定株、80年代の紅白にたとえれば新沼謙治のようなものである。

開始5分前に着くと、どこも人だかりではあったが、天龍の周りには一際たくさんの人がいたので、
やけに風雲昇り龍も人気があるなと思って近づいて行ったら、隣に丸山(大森出身)の姿があった。

毎度同じようなことを書いて恐縮だが、去年ならどうだとか、来年も呼ばれるのかという思いが渦巻く。
一瞬だけ群がる庶民とは一線を画すので、私いままでもいつまでも天龍源一郎を独占させていただきます。

「右側が空いてます!右にお廻りください」 ポリスメ~ンが連呼していた。
門をくぐって左側の中央付近に、北澤・佐々木・北斗・宇梶・丸山・天龍、離れて輪島という並びで、
右側に、小橋・秋山・丸藤・高山・武藤。まずは、忠告を無視して、宣言通りに天龍関と輪島関の間に陣取った。

「このままだと、相撲上がりばかりに迎合すんじゃねえって、あいつに怒られそうだし…」
途中でそう考えた人の良いオレは、ぐるりと廻ってノア勢の方へ。まぶしいぜ秋山と思ったら、武藤だった。

取った豆は過去最低の3袋で、おそらく素人が投げたものだが、そんなことはどうでもいい。
丸ちゃんが投げた豆だよとあげたら、あいつは喜ぶだろうし、ああ見えて素直なところも多少はある。
ネプリーグで、「現在の大関を挙げなさい」という問いに迷わず、「天龍!玉麒麟!」と答える純粋な子だ。

ジャビットの横にいるのに、テレビカメラに見切られた丸藤を始めノア勢…あいつが独占して構わない。
それにしても、いまだに天龍に敵愾心をむき出しにするあいつには、90年頃のオレやオジキの匂いを感じる。
オレたちも含め、ファンもレスラーもナアナアになっている今のプロレス界で、あいつのような存在は貴重だ。

「久しぶりに天龍を見たよ」 「天龍はデカイねえ」などと、お年寄りたちが興味を持って眺めていた。
ある意味、プロレス界の中畑清というか、やはり80年代のヒーローの知名度はバツグンで、
天龍や中畑は取り上げられるのに、触れられもしないノアやベイの選手たち。残念ながら、これが現実だ。

かあちゃんの入院中にひとりで夜中に見た、62歳天龍源一郎の生きざまと散りっぷり。
勇気だ元気だと巷では簡単に言うが、昨年いちばんパワーを貰ったテレビの中の人は天龍源一郎である。

これで、会場ではとっくに終えているが、秋山や武藤の頭のように光り輝いていた全日本プロレスのスターたち、
ジャンボ・天龍・三沢・小橋・秋山・丸藤を、力道山が眠る池上本門寺でコンプリートできて感無量である。

日本のプロレスの源流が力道山先生なら、日本のプロレスラーとして生きとし生けるものとしての源流は、
ジャイアント馬場・ジャンボ鶴田・三沢光晴が亡き今、天龍源一郎しか存在しない。

いつまでもプロレスを愛してファンを愛して仲間を愛して、己の肉体を切り刻むようなファイトを続け、
暗い闇の中、それでも必死に闘う丸藤たちに龍魂を継承させ、プロレス大河の流れを止めさせないでくれ。

そしてまた昔のように、「プロレスバンザイ!」と心の底から叫ぶ日が来ることを、オレは信じて疑わない。
nice!(0)  コメント(0) 

星に願いを

20120129-00000023-jijp-000-view_R.jpgpurokore-visitor_03_R.jpg

JRAから郵便物が届いていて、開けてみると、新生ベイスターズカラーな濃紺のバンダナが入っている。
何じゃあ!こりゃあ!と、ベイスターズのバンダナならともかく、こんなものを貰う義理もないと思って調べてみた。

☆電話・インターネット投票を利用して、有馬記念を500円以上購入した方の中から
抽選で20000名にBEAMSコラボのオリジナルバンダナをプレゼント。

こんなキャンペーンがあるのも知らなかったし、そんな所で運を使うとはなんだか複雑な気分である。
別にこんなグッズはいらないから、今からでも2着のエイシンフラッシュを降着にしてもらいたい。

オレが求めているのはBEAMSじゃなくて、トレンディーでブランニューなBAYSTARSだ。
特に自慢するような代物でもないので掲載しないが、今度は世良公則よろしく写真で登場するかも知れない。

☆ロゴコンセプトは、「継承と革新」

チームの象徴である星をメインに、大洋ホエールズ時代に使われていた
ブロック体を継承しつつデザインを一新したチームロゴを前面に、力強く据えています。

スターのマークは、ベイスターズの伝統的なモチーフであり、以前のプライマリーマークでは
キャラクターのホッシーに担ってもらっていた役割を、『星』そのものに一新しました。

星には、夜空に煌めく一番星のごとく、地域、ファン、12球団の中で
ひときわ強く明るく光り輝く星になる、という思いを込めています。

さらに、星(スター)に巻きついたブルーのリボンが力強く風にはためく様子は、
港町横浜のイメージからデザインし、横浜の街に根付くベイスターズの伝統を継承しながらも、
横浜DeNAベイスターズとしての革新的なイメージを象徴しています。

昨日のニューユニフォームのお披露目の模様は、どこの局でも大々的に報じてくれたし、わざわざ書かない。
ストーブリーグでしか比べられないので恐縮だが、ウチに続いて行われた中日の新ユニフォームの話題、
それと中日・阪神・日本ハムの新監督の、顔と名前がすぐに思い浮かぶ方が何人いるだろうか?

「おお!タテジマだよ!ベイスターズが日本一になったときと一緒だ!」
だからおまえは、日本一を知らない子どもたちだろと小一時間。
団塊の世代みたいなあいつは、ホームのユニフォームを見て大喜びしていた。

今年はまた筒香の背番号が変わり(55→8→25)、一昨年の福袋に入っていた
ホーム25(MU何とか)のユニの背中に、ガムテープで「TSUTSUGO」と貼りつけてやろうかと思っていたが、
このニューユニフォームを見てしまったら、新品の「TSUTSUGO25」を買わざるを得ない。

「継承と革新」 ベタと言えばベタだが、オレたちのハートにマッチする良い響きだ。
グラウンドの内でも外でも、ローセンス極まりない、わがベイスターズも変わったとまた騙されそうな気配である。

あいつとは逆に、オレが気に入ってるのはビジターの方で、デザインがオレのハイセンスにマッチする。
ビジター用は、「RAMIREZ3」を購入して、モリシとマッちゃん?で東京ドームの三塁側へ行き、
49年会少年隊の一員であるラミキには歓声を、あっちのムラ公には罵声を浴びせてやりたいと思う。

あとは、クリーンアップがひとり足りないことも加味して、何かの間違いで、「MATSUI55」が来てくれたら…
3枚目のユニに加え、ハマスタの年間シートも購入し、ラミキ・モリシ・オレとともにフォーリーブスを結成しよう。

ユニフォームは球団、そしてオレたちファンの顔でもある。
南海からダイエーに変わったときの、ユニフォームとヘルメット(あれは衝撃的だった)のように、
必要以上に新鮮さと企業カラーを出そうとして、盛大にスベったときの悪夢が脳裏をよぎっていた。

ところが、パジャマみたいなノーセンスでダサいユニフォームから一転したデザインもさることながら、
DeNAという文字を最小限に抑えたことが、本当に評価できる。まさに継承と革新、それでいい。

おそらく今年からは、横浜ではなくDeNAの表記になると思うが、ベイスターズで通してるオレたちには関係ないし、
あいつがホームで、オレがビジターを着用した写真でここに登場することは間違いない。

「腐っても鯛だねえ。やっぱり、昔の巨人のスターは野球に興味のない人でも知ってるもんね」
どんだけゴリ押しなんだよと、呆れるほどに吹き荒れるキヨシ旋風にかあちゃんがつぶやいていた。

最初は巨人の中畑というレッテルに、露骨な嫌悪感を示していたベイスターズファンたちも、
あまりのメディアでの取り上げられ方に、みんな気を良くしているし、ここまでのDeNAの戦略は満点と言っていい。

いままでのベイスターズは腐ってもではなく、ただ腐っていた。だが、これからのベイスターズは熱いぜ!
おそらく、腐っても鯛だと思われるキヨシとラミキとオレが、終着の浜辺である横浜を熱く盛り上げるつもりだ。

ゆうべは、ばあさんが久しぶりで夢に出てきた。
船出の日、ベイなあいつとコラボした、スターのばあさんが舞い降りてきたとでも言えようか。
最愛の孫は腐ったミカンではなく、鯛であることを今年こそは証明してみせるし、オレは加藤優にはならない。

わが家の歴史こそが、継承と革新。伝統を背負い、輝かしい未来に向けて突き進んでゆく。
それが、キヨシの大ファンでありオレの大々ファンである、星になったばあさんにとって何よりの願いだろう。
nice!(0)  コメント(3) 

色つきの男たちでいてくれよ

20120124-663937-1-L.jpg

熱い男たちの、四十年ロマンスってか…
改めて、歳を重ねていくのは決して恥ずべきものではなく、むしろ誇らしいことだと実感する。

絆なんて一言で済むほど、この男たちの人生は甘くない。
個々でも団体でも、壮絶な人生を歩んできた男ばかりだから、余計にこの写真だけでもグッとくる。

彼らの生きざまにはまだまだ及ばないけれども、オレたち仲間にとってはお初の結婚式で、
みんなで「君だけに愛を」を唄ったのは、我ながらヒットだな。25年後は、オレたちも武道館で唄おうか?

☆GSブームを支えたザ・タイガースの後期メンバーが、
1971年1月24日の解散から41年となったこの日、ラストコンサートを行った東京・日本武道館に勢ぞろいした。

昨年9月にスタートした沢田研二(63)の全国ツアーには、
ドラム・瞳みのる(65)、ギター・森本太郎(64)、ベース・岸部一徳(65)と当時のメンバーがゲスト参加。
この日の最終公演には、岸部の弟で後期メンバーのタレント・岸部四郎(62)も特別出演した。

脳梗塞の後遺症で歩行困難の四郎が、兄・一德に両脇を抱えられ
ステージに登場すると、ファン1万3000人はすすり泣き。

四郎は「こんなステージに立てるなんて、夢のよう。すべてジュリーのおかげや」と涙し、
ビージーズのカバー「若葉のころ」をつぶやくように披露した。
沢田は「命ある限り、全員そろってタイガース。近い将来、もう一度全員でやります」と“完全復活”を宣言した。

雨がしとしと日曜日 僕はひとりで 君の足元で呑んでいた
壁に飾ったニシキオリ なぜか今夜は すてきな笑顔忘れてる

「日曜にSONGSのタイガースを観た?ん?全然憶えてないんだけど…」
まだ居間にいた、10時前の記憶さえなくしてる、おバカのケーは放っておいて、
シローの生きざまはみなさんもご存知だろうが、ピーもスゲエんだって5年くらい前に知ったよ。

オレはリアルタイムじゃ、色つきと十年ロマンスの再結成しか見ていないから、
ピーと言われても過去映像しか知らないし、実感が沸かなかったのよね。

☆瞳みのる(ザ・タイガースのドラマー、アダ名はピー)

ザ・タイガース解散公演終了後に、銀座のちゃんこ鍋屋にて内田裕也主催の食事会が開かれた後は
直ぐさま、店の前に待たせてあった、京都時代の友人達と家財道具一式を積んだ2トントラックで、
東名高速道路~名神高速道路とひた走り、翌25日には京都の実家へ到着した。

同年4月より中退した京都府立山城高等学校の定時制へ復学し、翌1972年春に
慶應義塾大学文学部中国文学科へ入学、卒業後は修士課程へ進み教員免許を取得。
1977年より、慶應義塾高等学校で教鞭を執る傍ら、博士課程において中国語の研究を続ける。

解散後はメンバー達との一切の交流を断ち切り、1981年~1983年のザ・タイガース再結成時にも
参加しなかったほか、マスコミからの度重なる取材依頼に対しても徹底して拒否の姿勢を貫いていた。

特に初の再結成となった、1981年1月の「さよなら日劇ウエスタンカーニバル」においては、
元メンバーや関係者からの人づての連絡に対しても、頑ななまでに応じない姿勢に、
痺れを切らせた内田裕也が、日吉の慶應義塾高等学校校舎まで押しかけ、
面会を迫るも断固拒絶され、挙句の果てに警官が出動する事態にまで発展したという。

これらのいきさつもあり、翌1982年から本格的にスタートしたコンサートツアーや、
レコード発売、TV出演など一連の活動では瞳に配慮し、「来たい人だけ来ればいい」という
意味合いから一貫して「ザ・タイガース同窓会」の語を用い、自分たちは「再結成」とは決して称しなかった。

裕也はともかく、ピーに捧げる唄まで作って呼び続けた、ジュリーやサリーやタローも偉いし、
ここに来てようやく応えたピーも凄いよね。これだよなあ!熱い男たちの友情話はたまらないぜ。
おそらく、この男たちを結びつける核は、のっぽのサリーだとと思うし、イイ兄貴を持ったシローも幸せだな。

一般的にはシローが波乱万丈に見られるだろうが、大なり小なりみんなそうだろ?
たとえば、病気で言うならばピーも2度、脳の病気で倒れているらしいんだよね。

おそらく、呼ばれて簡単に来たシローも、ここまで気難しかったピーも根底は同じというかな。
とやかくいう人もいるだろうが、この姿でもステージに上がったシロー、そして上げたメンバーもカッコイイよ。

それこそ、輝かしい若き時代を一緒に駆け抜けた男たちが、
酸いも甘いも恩讐もすべてを超えて集まる姿は、たまらなく色っぽいしセクシーで熱いぜ。

あとはシローが入る前のメンバーである、トッポ(加橋かつみ)だけなんだが、81年の再結成のときは来てるからね。
もう一度だけ、ジュリーとトッポのツインボーカルで、「色つきの女でいてくれよ」を聴きたいものだ。

太ったとか痩せたとか禿げたとか枯れたとか衰えたとか…そんなのどうでもいいじゃない。

「年輪」とは、男だけに与えられた特権であると、オレは想っている。
nice!(0)  コメント(1) 

Texas Long Horn

tc1.search.naver.jp.jpg

どんなプラチナよりダイヤよりバラよりキミよりナオンより、このベルトは美しい。

もし今日、テキサスと聞かれたら、ほとんどのくだらない日本人はテキサス・レンジャーズと答えるだろうが、
オレにとっては、ロングホーンであり、ファンク道場であり、その次に来るのが勝野洋である。

日本のプロレスもアメリカのプロレスも同じと考えているように、オレにとっては野球もそうである。
ダルは日米の変な比較を意識することなく、ジャンボのAWAサーキットのように気楽に旅してもらいたいし、
最後はマーテルに丸め込まれて帰って、ベイに入るのもよいだろう。テキサスの生きた化石にだけはなるなよ!

オレはレンジャーズに6000万ドルで誘われるよりも、6ドルでアマリロのファンク道場に入門させてもらい、
ドリー・テリーの指導のもと、ジャンボ・ハンセン・バックランド・オジキとともに、世界王者を目指したい。

☆世界三大王者
・NWA世界ヘビー級王者 (ナショナル・レスリング・アライアンス)
・AWA世界ヘビー級王者 (アメリカン・レスリング・アソシエーション)
・WWF世界ヘビー級王者 (ワールド・レスリング・フェデレーション)
 
GHC(グローバル・オナード・クラウン)や、IWGP(イケブクロ・ウエスト・ゲート・パーク)とは、歴史も格も違う。
オレの部屋のど真ん中に飾られているジャンボも、このハンセンの写真もニックモデルのAWAのデカイベルトだ。

レスラーとしては最高峰のふたりだが、ベルトとしてはセカンド・ラブなAWAしか巻いていないし
ナショナルでもワールドでもなく、アメリカンオンリーなジャンボとハンセンがたまらなく愛おしいし懐かしい。
もし、好きなものをひとつあげると言われたら、家でも車でもなく、間違いなくこのチャンピオンベルトと答える。

☆1980~90年代、新日本プロレス、全日本プロレスの2大リングで、
伝家の宝刀「ウエスタン・ラリアット」を武器に何度も頂点に立った外国人レスラー、スタン・ハンセン。
日本人にもっとも愛された外国人レスラーである。

――ハンセンさんの必殺技といえばウエスタン・ラリアット。
1976年、ニューヨークにおけるブルーノ・サンマルチノ戦で初公開しましたが、この技名の由来は?

「オレはテキサス生まれでカウボーイのキャラクターだったから、
ラリアット(投げ縄)が一番いいと思って自分で命名したんだよ」

――アメリカでは一般的に「クローズライン」と呼ばれてますよね。

「クローズラインというのは、物干し竿という意味なんだ。
アメリカの家庭によくある光景で、裏庭で子供たちが走り回って物干し竿に首を引っかけて倒れる、
それがこの技の語源だよ。でも、プロレスより先にアメリカン・フットボールで使われていたんだ。
相手のパスを防ぐために首に腕を引っかけて倒す。その動きをオレがプロレスに導入したってわけさ」

――なるほど~。ハンセンさんのラリアットは、年を重ねるごとに一撃必殺になっていきましたね。

「そうだね。全日本プロレス時代には、最後の一発という意識をより強く持っていたから、
鋭くなっていったのは間違いないね。今では一日の大会で、20回以上見られる技だけどね(笑)」

――ヒールの意識が強かったと思いますが、アンドレ戦では観客の声援をみても完全にベビーフェイス扱い。

「あの試合に関してはそう見えたかもしれないが、ベビーとかヒールの意識を持って
試合をしたことは一度もないよ。自分はスタン・ハンセンでしかない」

――アメリカではベビーとヒールの区分は強いですよね。狂信的なファンが刃物で襲いかかってきたことも?

「昔は、リング上で起きていることが、すべて真実だと思って見ているファンも多かったからね。
自分が応援している選手を守るために、リングに飛び込んでくる人もたくさんいたよ」

――そういったファンから身を守るためにブルロープを振り回していたとか?

「そういう目的じゃないよ(笑)。あれはあくまでもカウボーイ・キャラのプロモーションであって。
ただ、オレはものすごい近視でね、結果的にはずいぶんファンをロープでぶん殴ってしまったな(笑)。
ホントに何も見えなかったから、リングがぼんやりと照らされていて、
その光に向かって、ロープを振り回して向かっていっただけなんだけど(笑)」

――リング上で味方と敵の区別はついたんですか?

「どこにいるかはわかるし、輪郭で判断はついた。
でも、痛がってるとか苦しんでるとか、相手の表情までは見えないから、お構いなしに攻めたね(笑)」

――引退を決意したのはいつですか? 理由は?

「あれは2000年の全日本の秋のシリーズだった。来日前は、まったく引退なんて考えてなかったんだ。
シリーズ終盤戦で、天龍のパワーボムを食らって失神して、下半身の神経が麻痺して動けなくなってしまった」

スティーブ・ウイリアムスに抱えられて控室に戻されて……あんなことは初めてだったし、
そこまで肉体が弱っていたなんて想像もしていなかった。そのときに「やめよう」と思ったんだ。
神様がもうやめろと言っているんだとね。最終戦の武道館でタッグマッチをやって、そこでスパッとやめたよ」

――やめたのはご家族のため?

「いや、プロレスラー、スタン・ハンセンのためだよ。
以前から自分で納得のいく試合ができなくなったらやめようとは思っていたんだ」

――ハンセンさんのライバルたち、アンドレ、ジャンボ鶴田、三沢光晴、若くして亡くなったレスラーも多いですね。

「キックボクシングやほかの格闘技の選手は、こんなに早く死ぬかい? リングの上で死んだ人がどれくらいいる? 
ほかの格闘技を批判しているわけじゃないよ。プロレスは「フェイク」という言葉でよくバカにされることがあるけど、
フェイクだったら、なぜ三沢やゲーリー・オブライトはリング上で死んだんだ?」

――試合数も多いですしね。
「量が違うんだ。年間300試合もザラという時代もあった。
プロレスは最も過酷で厳しい、肉体管理の難しいスポーツなんだ。
オレ自身、両肩、両膝、背骨に人工関節が入っている。闘いの代償さ。
だから、これほど肉体を酷使するスポーツはほかにはないと、自信を持って言えるよ」

――今はどんな日常を送られているんですか?
「いわゆるリタイアメントライフだよ。ふたりの子供が野球をやっていてね、
なるべく彼らのプレーを観に行くようにしている。あとは健康のために歩いたり、有酸素運動を週に5、6回」

――ところで、日本では女のコを積極的に誘いもせずに、気がつけば30代で童貞という男が増えているんですよ。

「30代でチェリーボーイだって??
昔は恥じらいというものが日本人の美徳であったと思うが、そんなレベルじゃないわけだな……。

これはアメリカも同じだけど、インターネットやフェイスブックばかりで、
肌と肌のコンタクトを避けるようになってきた。健康的じゃないよね。

人生は短いんだから、好きな女のコには積極的にアタックするべきだよ。
オレなんて、女のコからのアプローチをずいぶん断ってきたもんだ……ジョークだよ(笑)。
若い人たちは、『プレイボーイ』を読んで、DVDでオレの試合を観て、アグレッシブに生きてほしいね!」
nice!(0)  コメント(2) 
前の10件 | -